コーヒー粕を日本画に。”アート”と”教育”、2つの視点から中田晋一さんが描く未来
- On 2023年8月14日
私たちの生活に身近なコーヒー。自宅でドリップをして楽しんだコーヒーの残り粕を「もったいない」と感じたことがある方も多いのではないでしょうか。乾燥させて消臭剤にしたり、コンポストしたり、いろいろな再利用や循環の方法があると思いますが、今回ご紹介するのは「コーヒー粕の日本画」。横浜市を拠点に日本画家・造形作家として活動しながら、美術教師としても活躍する中田晋一(なかた・しんいち)さんに、アートと教育、2つの視点から見る未来についてお話を伺いました。
モノづくりの現場の廃棄物を見て「自分ができること」を強く意識した
──現在のご活動とご経歴について教えてください。
私は日本画や造形を中心とした制作活動を行っています。循環という観点でいうと、ドリップした後のコーヒー粕を素材として日本画に使っています。教員歴はまだ浅いですが、横浜市内の学校で美術教師としても働いています。教員になる前は、アミューズメントパークなど商業施設の造形に関する仕事や、建築の内装の仕事をしていました。
──色々な仕事をご経験されてきたのですね。それが今のご活動にどう結びついているのでしょうか?
素材に対する考え方には影響していると思います。特に商業施設の造形物は、モノが一つできるまでに廃棄がとても多いのです。
どのように作るかというと、最初に発泡スチロールの原型を作って、そこから石膏で型を取ります。発泡スチロールは再利用できるように細かくした綺麗なものであれば業者が回収してくれるのですが、石膏の場合は裏側に別の素材を貼ったりするので、全部廃棄になってしまいます。型取りをするプラスチックも色々な端材が多くて「たくさん廃棄物が出るな」という印象を持っていました。そんな中、ごみを減らしていきたいという思いもあって、コーヒー粕を使った絵画は自分自身が取り組めるものとして強く意識するようになりました。
──コーヒー粕の絵画の制作はいつ頃から行っているのでしょうか。
学生の時なので、もう30年ほど前からですね。もともとは「コーヒーを飲むのが好き」というところから始まっていて。学生の頃、自分でドリップしたあとに残ったコーヒーのザラザラした質感が日本画に似ている気がして、塗ってみたのがスタートでした。
──SDGsやサステナビリティが話題になるずっと前から取り組まれていたのが驚きです。
自分がコーヒー豆を消費して、それがごみになるじゃないですか。廃棄する以外に色々な方法があるとして、自分なりの使い方ができたらいいなと思っています。コーヒー粕の日本画だけを描いているわけではないですが、ドリップしたあとのコーヒー粕はなるべく保存して制作に使えるようにしています。個展を開催するごとに1,2点は出しています。
捨てられるモノの魅力を活かして「モノのセカンドキャリア」を描きたい
──こういった、少し変わった画材を使うことは日本画ではよくあることなのでしょうか?
はい。一時期、伝統的な日本の美しいものがある中で、西洋の抽象化など色々なものとの出会いがあって、新しいものを作り出そうとする運動が起こったと言われています。その中でかなり色々な素材や抽象的な表現も試されたと聞いているので、当時は色々なものが素材として使われていたのではないでしょうか。ただ、コーヒーが使われたというのは聞いたことはないですが(笑)。
──絵画にするまでに試行錯誤はありましたか。
そうですね。ザラザラが大きいので、こし網で粒子を選別したり、大きいものはもう一度コーヒーミルで挽き直したりするなどしていました。くっつけるときも最初は膠だけ使っていましたが、水性の木工ボンドを少し混ぜたり接着剤を塗ったりするなど、色々試しましたね。
もともと自分の考え方自体、「こうでなくてはならない」という気持ちが強くなくて。やってみて、生まれた結果の偶然を楽しむ傾向が強いです。そういう意味では、昔コーヒー粕で夜景を描いていたとき、絵画の上から金のパールのような画材をパッとかけたらコーヒーのザラザラの部分にだけ金がついてキラキラした感じになって、面白いなと思いそのまま作品にしたこともありました。
──変わった素材を使う面白さや、偶然性も作品の発想に活かされているのですね。
普通は捨ててしまうモノに対して「もったいない、何かに使えるんじゃないか?」と思う傾向はありますね。昔から両親に物を大事にするように言われてきた影響も大きいかもしれないです。
最近では「エコアート」という社団法人に登録して、廃棄される時計の部品を使った作品も作っています。 壊れたり、検品で引っかかったりするなど、色々な理由で時計としては世の中に出られないモノが手元に送られてきます。そういったモノを見ていると「こんなふうに使えるな」「魚に見えるな」など想像が膨らんできて、魚をモチーフにした作品も作りました。
自分もだいぶ年を重ねてきましたが、年をとってからも色々な挑戦をしているので、長く頑張ってきたものを見ると「まだ役に立つんじゃないか」と思うところもあって。正規の商品としては世の中に出せないモノでも、どれももとはしっかりしていますし、使い込まれたモノにはまた別の魅力があります。人間でいうセカンドキャリアのように、廃棄されるモノが世の中に出て人の目に触れるようになったら嬉しいなと思って制作をしています。
コーヒー粕や廃棄物の粉末で「くつろぎ」と「光」を描く
──ところで、コーヒー粕の絵画の背景に使われている白いものは何でしょうか?
胡粉(ごふん)という貝殻を使った粉で、日本画に使う絵の具です。他にも、鹿の骨や角を焼いて作った絵の具、マグロの骨や竹、プラスチックの粉末などを一部使っています。これらの素材は、町の色々な廃棄物を絵に変える活動をしているエコアートアーティストの綾海(あやみ)さんからご提供いただいています。
日本画ではもともと砂のような、ザラザラした絵の具を使っていて、それを膠(にかわ)、つまり動物の皮や骨を煮出して作ったゼラチンで固めて塗っているんです。さまざまな粉末を使って、それを日本画という形で制作しています。
──日本画のルーツそのものが、有機物と密接なのですね。
そうですね。天然の絵の具も、土が主成分の黄土をはじめ、発色のいい赤や青は宝石に近い岩石を砕いて作ったものを塗っています。さらに土が主成分の絵の具は、繰り返し使用が可能な点が優れています。粉末を膠で溶かして塗った後、それをお湯で洗うと流れた絵の具がその水の下に溜まります。すると膠が取れてサラサラの状態に戻るのです。
だから色ごとに洗う水を変えて、色の揃った状態で使えば再利用もできるし、さまざまな色が混じったグレーも味わいのある色味になるので、それを仕上げに塗ることもあります。そういう使い方もできるのです。
──qlaytion gallery(Circular Yokohamaが運営を行うギャラリー)に展示している作品は、猫を描いているものが多いですよね。作品にはどういう想いを込めているのでしょうか。
コーヒー豆が黒や茶色といった色をしているので、最初は夜景の作品を描いて個展に出していました。猫を描いているのは、うちで飼っている猫がたまたま黒猫なんです。日が当たるとちょっと茶色っぽくて、まさにコーヒーにはもってこいの色合いだなと。私は「のんびりくつろぎたい」という想いが強いので、作品に触れた人もそのくつろぎを感じてもらいたいです。
あとは「光」ですね。伝わりにくいかもしれないですが、生き物と夜景、全然違うけれど、そこから光のようなものを感じるのです。物理的な光もあれば、生きているものの生命感という光もある。そういったさまざまな光を、制作を通して探求していきたいと思っています。
──絵画をご覧になった方から言われて嬉しかったことや、印象に残っていることはありますか。
猫の作品は「生きているみたい」「昔飼っていた猫にまた会えたような気がする」と言われたのは嬉しかったですね。
あと印象的なことでいうと、コーヒー粕の絵画が重い(重量のある)作品だと思われることが意外に多くて。作品に材料を記載してはいるのですが、説明をそれほど読まない方もいて、コンクリートの塊や石板に描いていると思われて「壁にかけたら危ないんじゃないか」と言われたこともあります(笑)。コーヒー豆なので軽いですよ、という話をすると驚かれますね。
今までは普通の日本画と混ぜて展示することが多く、SDGsやサーキュラーという焦点を絞った発表はまだしていないので、近々「コーヒー豆を使った日本画」と打ち出して個展ができたらいいなと思います。
教育もビジネスモデルも、時代に合わせた変化が必要
──教育者としてもお仕事をされる中で、アートや教育が持つ可能性はどのように感じられていますか。
子どもたちは次の世代なので、きっと新しい発想や新しい表現を持っていると思います。教えるという立場ではあるのですが、あくまでそれをきっかけとして、全然違ったものをたくさんアウトプットしてもらえると嬉しいですね。
ある程度教える内容が決まっていることもあるのですが、そういった中で思いもよらない表現が生徒たちから出てくるのは非常に楽しいですし、可能性を感じます。
──生徒さんから刺激をもらうことも多そうですね。日本の教育について、課題を感じていることはありますか。
学ぶことに対して、前向きな姿勢を持ちにくい傾向もあるように思います。学校に来ない子もいるし、勉強がつまらないという子もいますよね。これからの人たちに最先端のものを教えて、よりよい時代につなげていくのが教育の役割です。人の考え方も変わってきていると思うので、今後いろいろと工夫を加えていく必要があると感じています。
コロナ禍でオンラインの授業も話題になりましたが、やはり子どもたちのほうがデジタル機器の使用に慣れるのは早いです。最近では、アプリを使ってポスターを作る授業をしました。もともとスマホにペイントソフトを入れている子もいて、かなり完成度の高い作品を作っていたのが印象的でしたね。
今はSNSのショート動画をはじめ、短い時間で人の心をつかんでどんどん切り替わっていくものも多いので、時間の感覚も私たちの世代とは少し違うのではないかと思っています。ただ、私はそれを悪いことだとは思っていません。皆全然違う個性を持っていて、いいものを生み出す瞬発力もある。教育のあり方も、その時代に合わせたやり方を模索していく必要があるのではないでしょうか。
──簡単なことではありませんが、社会が急速に変化する中、ビジネスだけではなく、教育も時代に合わせて変化する必要性を改めて強く感じます。そういった点も踏まえ、最後に循環型社会の実現に向けて、中田さんが今思うことを教えてください。
やはり、最初から循環を考えることが重要ですよね。物を作るところを起点にすると、作る過程でごみが出たり、使い終わったときに廃棄されたりしてしまいますよね。だから、サーキュラーデザインを考えていくことはとても大事だと感じています。
それを可能にするには技術も伴わないといけないので、難しい課題だとは思うのですが、それだけの価値はあるのではないでしょうか。たとえば、角を丸くしたプロダクトの端材があらかじめ別のものになるプロダクトデザインや商品企画をしても面白いですよね。どうしても物は古くなるし、使わなくなる場面も出てくると思いますが、その先どうするのかを考えておくと、より循環するのではないかと思います。
私は愛知県の豊橋市出身なのですが、東三河の各市の市長が来て、各自治体の取り組みを発表する会に行った際、蒲郡市の市長が「蒲郡はサーキュラーシティを目指します」と発表していてとても驚きました。身近なところでそういった取り組みが始まっているのも印象的でしたし、地域によって色々な産業があります。循環というところで共鳴して、そこから色々な人と情報交換してアイデアを考えていくことで、意外と新しい使い方を見つけられるのではないでしょうか。
編集後記
サステナビリティやSDGsの話題が頻繁にメディアで取り上げられるようになるずっと前から、コーヒー粕の日本画を描いていたという中田さん。コーヒー粕で描かれた猫たちからは、中田さんの笑顔のようにほっこり、あたたかな光を感じます。
最近では廃棄物をアップサイクルした商品やワークショップ等もよく目にするようになりましたが、持続可能性を追求する上で大事なのは、継続して行うこと。資源を無駄にしてはいけないという義務感からではなく、自分の好きなコーヒーを題材に「前例は聞いたことがないけれど、何かに使ったら面白いんじゃないか?」というポジティブな目線を持って取り組んできたことが、30年以上も描き続けるモチベーションにつながっているように思いました。
アートも教育も、きっと誰もに当てはまる正解はないもの。時代による変化を前向きに捉え、「こうでなくてはいけない」という常識から一度外れて柔軟な発想を持ち続けること、そして「面白い」と思える感性がこれからの未来に必要だと学ばせてもらいました。
中田さんが制作したコーヒー粕の日本画は、Circular Yokohamaが運営を行うqlaytion galleryでも展示を行っています。本記事を通して興味がわいた方は、ぜひお越しください。
【関連記事】YOKOHAMA CIRCULAR DESIGN MUSEUM(ヨコハマ サーキュラーデザイン ミュージアム)
【関連サイト】qlaytion gallery
【参照サイト】中田晋一 公式サイト
【参照サイト】エコアート
【参照サイト】サーキュラーシティ蒲郡
金田 悠
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