なぜ、家庭ごみ43%削減は実現したのか。15,000回の対話から始まる、横浜の資源循環【横浜市とサーキュラーエコノミーのあゆみ Vol.1】
- On 2026年2月27日
※本記事は、横浜市国際局が運営する「Green Hub in Asia」に2026年1月に掲載された記事の翻訳・一部編集版です。横浜市職員への取材をもとに、Circular Yokohamaを運営するハーチ株式会社が制作しています。
人口が増え続ける大都市で、家庭から出るごみを43%削減する。
これは、横浜で市民と行政が力を合わせて実現してきた成果のひとつです。
この数字の背景にあるのは、最先端の技術ではなく、15,000回を超える対話を重ねながら実現した、市民と行政による協働です。そうした地道な取り組みは、立場を越えた信頼関係を育み、今日の横浜の資源循環の基盤となっています。
本シリーズでは、横浜市がどのように循環のまちづくりを進めてきたのか、その歩みを振り返るとともに、これからの可能性を考えます。本稿では、循環の出発点となった歴史的・文化的背景と、G30プランを出発点とする資源循環の取り組みをご紹介します。
横浜はどのようにして、現在の循環の取り組みへとつながる土台を築いてきたのでしょうか。
開港から近代化へ 横浜が育んだオープンな気質とシビックプライド
都市としての横浜の起点は、19世紀半ばに遡ります。当時の日本は、200年以上にわたり対外的な交流を厳しく制限する「鎖国」を続けていました。その静寂を破ったのが、1853年のアメリカ海軍ペリー提督の来航です。この出来事を機に、日本は再び世界へ門戸を開くこととなり、その最初の国際貿易港として選ばれたのが、当時人口数百人の小さな漁村だった横浜村でした。

安政元年正二月横浜村応接(資料提供:横浜市立図書館デジタルアーカイブ)
その後1859年の開港以降、横浜は日本の近代化の窓口として、人、モノ、文化が絶え間なく行き交うダイナミックな都市へと発展。それから30年後の1889年4月1日に市制が施行され、「横浜市」が誕生しました。
日本の多くの大都市が、封建時代の領主が治める「城下町」を起源とするのに対し、この「開港の地」という歴史をもつ横浜では、国内外から集まった商人たちがゼロからまちを築き上げました。そこでは、古い慣習にとらわれず、街の外にある多様な文化や新しい価値観、そして変化そのものを柔軟に受け入れながら新しい生業や事業を生み出そうとする「自由でオープンマインドな風土」が育まれたのです。
こうして「街を自分たちで創り上げた」という強い当事者意識と、街への愛着、いわゆる「シビックプライド」が深く醸成されてきたことこそが、横浜というまちの市民力を裏付ける大きな特徴です。令和5年度横浜市民意識調査(出典:横浜市政策経営局経営戦略部経営戦略課)で約7割が街への愛着や誇りを感じると答えた事実は、この街が持つポテンシャルの大きさを示しています。
そしてこの気質は、今日の横浜が国際的なパートナーシップを積極的に構築し、海外の都市との対話や連携を重視する姿勢の原点にもなっています。
「サーキュラーシティ・ヨコハマ」の原点となった廃棄物問題
こうして、市民力を磨きながら国際都市としての認知を育んできた横浜は、1945年の第二次世界大戦終戦以降、人口は増加の一途をたどりました。
特に、高度経済成長期真っ只中の1960年代以降、東京に隣接する横浜の港湾地帯には多数の工場が建設されました。そして、各地から横浜へ移り住む人々で人口が爆発的に増加。丘陵地を切り開いて造成された広大な住宅地は多くの人々に住まいを提供しましたが、同時に、急激な都市化はインフラへの大きな負荷をもたらしました。

国道一号線より京浜工業地帯を望む(資料提供:横浜市立図書館デジタルアーカイブ)
中でも、人々の暮らしが豊かになるにつれて増え続ける廃棄物の問題は、都市の持続可能性を脅かす深刻な課題のひとつとなっていったのです。ここから、横浜がサーキュラーシティとしての道を本格的に歩み始める、転換点ともいえる挑戦が始まります。
その第一歩が、埋め立て処分場の残余年数が逼迫するという危機を背景に、2003年1月に策定された一般廃棄物処理基本計画「横浜G30プラン(以下「G30」)」でした。目標は、2010年度におけるごみ量*を2001年度実績に対し30%削減すること。極めて野心的なゴール設定でした。
*ごみとして排出されるもののうち、資源物として排出されるものを除く量。
人口が増え続ける大都市で、どうすればそのような大幅な削減が可能になるのか。それを実現する鍵として、当時の横浜市は市民との対話を重ね、行動変容を促す取り組みを進めていました。
対話が築いた資源循環 「G30」の軌跡
横浜市では、G30の中核として、分別ルールを従来の5分別7品目から10分別15品目へと大幅に細分化することを決断しました。これは、それまで「燃やすごみ」として一括りにされていた多くの品目を価値ある「資源」として捉え直すこと。すなわち、循環型社会の実現に向け、焼却・埋立処分を中心とする廃棄物対策からの脱却を図るものでした。例えば、食品が入っていたプラスチック製のトレイやボトルは、きれいに洗って「プラスチック製容器包装」へ。読み終えた新聞や雑誌は「古紙」として、ひもで縛って集積場所へ。このように、市民一人ひとりが家庭で資源を丁寧に仕分けることが、横浜市のシステムの根幹をなしています。

市内ごみ置き場
ルールの複雑化は市民の負担増に繋がりますが、横浜でこうした分別ルールが浸透した背景には「行政と市民との協働」があります。
横浜市が連携したのは、地域コミュニティの核となる組織「自治会町内会」。横浜市には、2,800以上の自治会町内会が存在し、その加入数は約120万世帯です。横浜市は、G30プランの地域浸透および住民の行動変容に向け、自治会町内会と協力して新しい分別方法を説明するための住民向け説明会を、市内全域で実施しました。その回数は、最終的に約15,000回にものぼります。
またG30の計画は、横浜市の行政職員が先頭に立って行動するという強い意識があり、早朝には駅前やごみの集積場所で「分別が始まります。よろしくお願いします」と呼びかける行政職員の姿が見られました。他にも、さまざまな印刷物にスローガンが印刷されていたり、ごみ収集車からG30のテーマソングが流れていたり、様々な場面を活用して取り組みの普及啓発が進んでいきました。
当時の取り組みを知る横浜市資源循環局の担当者は、「分別を分かりやすく説明するには、市民と直接会って説明するのが一番と考えました。そこで、分別品目を説明するための様々な手作りグッズを持ち、夜間・休日も交代で地域に足しげく通って分別説明会を実施し続けました。これは、自治会町内会や環境事業推進委員(自治会町内会から選出される環境活動を推進するボランティアリーダー)の協力無くして実現できなかった取り組みです。地域と相談しながら説明会を開催し、チラシ配りや啓発など一緒に行動するなかで、理解・協力の輪が広がっていきました」と語ります。

説明会の様子
その成果は明白です。2001年度には161万トンだったごみ量は、2003年度に153万トン、2004年度に132万トン、2005年度には106.3万トンまで減少。G30計画期間中に市内人口が8%増加する中で、「ごみ量30%減(対平成13年度比)」という目標を5年早く達成することができたのです。
さらに、こうした変化に支えられて、市内7か所の焼却工場のうち3か所の稼働を停止することも可能になりました。
「G30における分別ルールの拡大を開始した当初は、『このごみの正しい分別がわからない』という市民からの問い合わせが急増し、電話が鳴りやまない状況でした。それでも、地域住民と協力しながら精一杯取り組むなかで築いた信頼関係が市民の行動変容につながり、ごみの削減を達成できたと思います」と当時の担当者続けます。この言葉からは、市民との協働がもたらす力の大きさを改めて感じ取ることができます。
G30のレガシーを礎に 3Rを基盤とした循環型社会へ
G30で培われた市民の環境意識は、今も私たち横浜にとっての貴重な財産です。その精神はその後、ごみの発生抑制(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)をさらに推進する「ヨコハマ3R夢(スリム)プラン」や、脱炭素社会の実現や循環経済への移行に向けた「ヨコハマ プラ5.3(ごみ)計画」といった現在の政策に、脈々と受け継がれています。
現行の「ヨコハマ プラ5.3(ごみ)計画」では、2030年度までに、2022年度比で燃やすごみに含まれるプラスチックごみを2万トン削減することを目標に掲げています。これは、市民1人あたり年間5.3kgのプラスチックごみを削減することを意味しています。
この計画における取り組みとして、より価値の高い資源循環を目指すべく、2024年からは、これまで「燃やすごみ」としていた歯ブラシやおもちゃなどのプラスチック製品も、新たに資源として回収する分別ルールを導入しています。
約20年ぶりとなる分別ルールの変更。横浜市ではG30当時の経験を活かしつつ、デジタル広告や広報など時代の変化にも対応した周知の工夫を取り入れています。特に、ごみ量の削減は市民と協働して進めることが大切です。そこで、目標や計画を誰でも理解しやすく親しみを感じてもらえるように、日本語で「ごみ」と読むことができる語呂合わせで、「プラ5.3計画」と名付けました。
挑戦は続く 資源循環産業との新たな対話
「ヨコハマ プラ5.3計画」を通じた市民との協働に加え、横浜市は新たな連携の輪を広げています。それが、市内の資源循環産業とのパートナーシップ「横浜市資源循環推進プラットフォーム」です。
このプラットフォームは、横浜市と市内の資源循環産業の中核を担う7社が約1年間の議論を重ね、2024年に誕生しました。製品を製造・流通・消費する側の動脈産業と、資源循環を担う静脈産業がコミュニケーションをとり、互いのニーズを結び付けながら協業を進める場です。
2026年1月現在、発足から約1年が経ち、年間20〜30件のペースで動脈産業などから資源循環に関する相談が寄せられており、解決に向けたマッチングの事例も複数生まれています。
例えば2025年8月には、市内のホテルと動物園とが連携し、ホテルブッフェの未利用食品を動物のおやつとして活用する新たな取り組みが実現。食品ロスの削減と市域内での資源循環の可能性を示す事例となっています。

市内ホテルから提供された果物を使ったおやつを食べるインドゾウ(よこはま動物園ズーラシア)
その他にも、「地域におけるリサイクル事業の創出」や、「効率的に資源を収集するための輸送システム」などをテーマとして、民間企業と行政との間で、事業実現に向けた検討が進められています。
今後は、地域の中小企業やスタートアップ企業などにも新たなビジネスチャンスが生まれ、地域における“環境と経済の好循環”が、様々なプレーヤーによって、持続的に拡大していくことが期待されています。
学び合いが生む、横浜とアジアの循環連携
こうして培われた市民参加型の資源循環や都市経営の知見は、アジア各地の都市が自らの文脈に合わせて循環型都市づくりを進める際の「学び合いの素材」となり、海外からも注目を得ています。
2009年には、環境と経済の両立をめざす世界銀行の「Eco2 Cities」イニシアティブにおいて、横浜市は成功事例を持つ最初の6都市のひとつとして位置づけられました。その後も、廃棄物削減や市民協働の経験は、世界銀行やJICAなどが実施する研修プログラムやケーススタディの題材として取り上げられ、各国の行政職員や技術者が横浜を訪れて都市課題の解決策を学んできました。
さらに、世界銀行東京開発ラーニングセンター(TDLC)や、アジア開発銀行(ADB)および同研究機関であるアジア開発銀行研究所(ADBI)とは、アジア・スマートシティ会議(ASCC)における協力や、都市間連携を通じた知識共有・人材育成を進めています。
こうした国際的な対話と協働もまた、循環型の都市を推進する重要な要素のひとつです。
信頼の土壌から生まれる クリエイティブな循環のかたち
そして、市民・事業者・行政が育んできた協働の文化は、いま横浜が進める「循環型都市」への移行を確かなものにしています。
2026年1月現在策定中の2026–2029年の市の中期計画では、「循環型都市への移行」の戦略が明確に示され、行政内各部局横断での取り組みが進んでいます。さらに2025年11月のアジア・スマートシティ会議2025では、ICLEI Japanと連携してアジア版「循環型都市宣言制度」(Asian Circular Cities Declaration)が立ち上げられ、横浜は第一号の署名都市として参画しています。

アジア・スマートシティ会議2025 開催の様子
これにより、横浜のサーキュラーエコノミーへの取り組みは、もはや個別のプロジェクトではなく市を挙げての中期戦略として、また国際的な都市間協働のネットワークにおける重要な要素として位置づけられています。
こうして横浜に根づいた歴史や経験を生かしたまちづくりと多様なステークホルダーとの連携は、「循環型都市への移行」を加速させる新たなステージに入りつつあります。
次回の記事では、歴史的建造物を文化の力で再生させるプロジェクトや、最先端のビジネスエリアで進む官民連携の実証など、横浜市各局が取り組む「循環を軸にした都市づくり」の具体事例をご紹介します。横浜が、その歴史を力にどのように明日の都市を描こうとしているのでしょうか?ぜひ記事続編をご覧ください。
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【参照記事】人口と世帯数の推移|横浜市政策経営局
【参照記事】横浜G30プラン|横浜市資源循環局
【参照記事】ヨコハマ3R夢プラン|横浜市資源循環局
【参照記事】ヨコハマ プラ5.3計画|横浜市資源循環局
【参照記事】横浜市中期計画2026~2029(素案)|横浜市政策経営局
【参照記事】横浜市町内会連合会


